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源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

源氏物語&古典をはじめ、日常の生活に雅とユーモアと笑顔を贈ります🎁

病から回復した源氏【源氏物語 65 第5帖 若紫9】僧都は饗応に心を尽くし 源氏のために尼君に 女王ことをお願いする

夜明けの空は十二分に霞んで、

山の鳥声がどこで啼《な》くとなしに多く聞こえてきた。

都人《みやこびと》には 名のわかりにくい木や草の花が多く咲き多く地に散っていた。

こんな深山の錦《にしき》の上へ 鹿が出て来たりするのも珍しいながめで、

源氏は病苦からまったく解放されたのである。

 

聖人は動くことも容易でない老体であったが、

源氏のために僧都の坊へ来て護身の法を行なったりしていた。

嗄々《かれがれ》な所々が消えるような声で

経を読んでいるのが身にしみもし、

尊くも思われた。

経は陀羅尼《だらに》である。

 

京から源氏の迎えの一行が山へ着いて、

病気の全快された喜びが述べられ 御所のお使いも来た。

僧都は珍客のためによい菓子を種々《くさぐさ》作らせ、

渓間《たにま》へまでも珍しい料理の材料を求めに 人を出して

饗応《きょうおう》に骨を折った。

「まだ今年じゅうは山籠《やまごも》のお誓いがしてあって、

 お帰りの際に京までお送りしたいのができませんから、

 かえって御訪問が恨めしく思われるかもしれません」

 などと言いながら僧都は源氏に酒をすすめた。

「山の風景に十分愛着を感じているのですが、

 陛下に御心配をおかけ申すのももったいないことですから、

 またもう一度、この花の咲いているうちに参りましょう、

 『宮人に 行きて語らん 山ざくら

  風よりさきに 来ても見るべく』

 歌の発声も態度もみごとな源氏であった。

 

僧都が、

『優曇華《うどんげ》の 花まち得たる ここちして

 深山《みやま》桜 に目こそ移らね』

と言うと源氏は微笑しながら、

「長い間にまれに一度咲くという花は御覧になることが困難でしょう。

 私とは違います」

と言っていた。

巌窟《がんくつ》の聖人《しょうにん》は酒杯を得て、

『奥山の 松の戸ぼそを 稀《まれ》に開けて

 まだ見ぬ花の 顔を見るかな』

と言って泣きながら源氏をながめていた。

聖人は 源氏を護る法のこめられてある独鈷《どっこ》を献上した。

 

それを見て僧都は聖徳太子が百済《くだら》の国からお得になった

金剛子《こんごうし》の数珠《じゅず》に宝玉の飾りのついたのを、

その当時のいかにも日本の物らしくない箱に入れたままで

薄物の袋に包んだのを五葉の木の枝につけた物と、

紺瑠璃《こんるり》などの宝石の壺へ 薬を詰めた幾個かを

藤や桜の枝につけた物と、山寺の僧都の贈り物らしい物を出した。

 

源氏は巌窟の聖人をはじめとして、

上の寺で経を読んだ僧たちへの布施の品々、

料理の詰め合わせなどを京へ取りにやってあったので、

それらが届いた時、

山の仕事をする下級労働者までが

皆相当な贈り物を受けたのである。

 

なお僧都の堂で誦経《ずきょう》をしてもらうための寄進もして、

山を源氏の立って行く前に、

僧都は姉の所に行って源氏から頼まれた話を取り次ぎしたが、

「今のところでは何ともお返辞の申しようがありません。

 御縁がもしありましたなら

 もう四、五年して改めておっしゃってくだすったら」

と尼君は言うだけだった。

 

源氏は前夜聞いたのと同じような返辞を僧都から伝えられて

自身の気持ちの理解されないことを歎《なげ》いた。

手紙を僧都の召使の小童に持たせてやった。

『夕まぐれ ほのかに花の 色を見て

 今朝《けさ》は霞の 立ちぞわづらふ』

という歌である。

返歌は、

『まことにや 花のほとりは 立ち憂《う》きと

 霞《かす》むる空の けしきをも見ん』

こうだった。

貴女《きじょ》らしい品のよい手で 飾りけなしに書いてあった。

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