【藤原実定 後徳大寺左大臣】81番 千載集 夏・161
🌙ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる
〜戸外の明け方近い夜空 ひと声ほととぎすの鳴いた方角を見る。
もうその姿はなく、ただ夜明けの下弦の月だけが残っている🌙
💠 藤原実定 💠ふじわらのさねただ
💠 後徳大寺左大臣 💠ごとくだいじのさだいじん (1139~1191)
藤原公能(きんよし)の子 百人一首の撰者、藤原定家のいとこ
平安時代末期の平氏が栄えた時代に 大臣の職についていた。
有明の月は、有明月(ありあけづき)とも呼ばれ、名前の由来は、
「夜が ”明”けても、まだ空に”有”る月」の意味からきていると言われています。
満月(月齢15前後)より後、月齢15前後~29までの月のことを指します。
↓記事より引用
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源氏が左大臣家へも行かず、二条の院へも帰らないで、妙に途中で別れて行ったのを見た中将が、不審を起こして、
自身のほうにも行く家があったのを行かずに、源氏のあとについて来たのである。
わざと貧弱な馬に乗って狩衣姿をしていた中将に源氏は気づかなかったのであったが、
こんな思いがけない邸へはいったのが、また中将の不審を倍にして、立ち去ることができなかったころに、
琴を弾く音がしてきたので、それに心も惹かれて庭に立ちながら、一方では源氏の出て来るのを待っていた。