反抗的に言ったりもしましたが、
本心ではわれわれの関係が解消されるものでないことをよく承知しながら、
幾日も幾日も手紙一つやらずに私は勝手な生活をしていたのです。
加茂《かも》の臨時祭りの調楽《ちょうがく》が御所であって、
更《ふ》けて、それは霙《みぞれ》が降る夜なのです。
皆が退散する時に、
自分の帰って行く家庭というものを考えるとその女の所よりないのです。
御所の宿直室で寝るのもみじめだし、
また恋を風流遊戯にしている局《つぼね》の女房を訪ねて行くことも
寒いことだろうと思われるものですから、
どう思っているのだろうと様子も見がてらに雪の中を、
少しきまりが悪いのですが、
こんな晩に行ってやる志で女の恨みは消えてしまうわけだと思って、
はいって行くと、 暗い灯を壁のほうに向けて据え、
暖かそうな柔らかい 綿のたくさんはいった着物を大きな あぶり籠《かご》に掛けて、
私が寝室へはいる時に上げる几帳《きちょう》のきれも上げて、
こんな夜にはきっと来るだろうと待っていたふうが見えます。
そう思っていたのだと私は得意になりましたが、 妻自身はいません。
何人かの女房だけが留守をしていまして、
父親の家へちょうどこの晩移って行ったというのです。
艶《えん》な歌も詠んで置かず、 気のきいた言葉も残さずに、
じみにすっと行ってしまったのですから、 つまらない気がして、
やかましく嫉妬をしたのも私にきらわせるためだったのかもしれないなどと、
むしゃくしゃするものですからありうべくもないことまで
忖度《そんたく》しましたものです。
しかし考えてみると用意してあった着物なども平生以上によくできていますし、
そういう点では実にありがたい親切が見えるのです。
自分と別れた後のことまでも世話していったのですからね、
彼女がどうして別れうるものかと私は慢心して、
それからのち手紙で交渉を始めましたが、
私へ帰る気がないでもないようだし、
まったく知れない所へ隠れてしまおうともしませんし、
あくまで反抗的態度を取ろうともせず、
『前のようなふうでは我慢ができない、 すっかり生活の態度を変えて、
一夫一婦の道を取ろうとお言いになるのなら』
と言っているのです。
そんなことを言っても負けて来るだろうという自信を持って、
しばらく懲らしてやる気で、 一婦主義になるとも言わず、
話を長引かせていますうちに、
非常に精神的に苦しんで死んでしまいましたから、
私は自分が責められてなりません。
家の妻というものは、
あれほどの者でなければならないと今でもその女が思い出されます。
風流ごとにも、 まじめな問題にも話し相手にすることができましたし、
また家庭の仕事はどんなことにも通じておりました。
染め物の立田《たつた》姫にもなれたし、
七夕《たなばた》の織姫にもなれたわけです」
と語った左馬頭は、いかにも亡《な》き妻が恋しそうであった。
「技術上の織姫でなく、 永久の夫婦の道を行っている七夕姫だったらよかったですね。
立田姫もわれわれには必要な神様だからね。
男にまずい服装をさせておく細君はだめですよ。
そんな人が早く死ぬんだから、
いよいよ良妻は得がたいということになる」
中将は指をかんだ女をほめちぎった。
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