うっかり画像ファイルを消してしまったので過去記事をリライトしています( ;∀;)💦
梅雨は鬱陶しいものですが、楽しみのあります。
しっとりと雨にぬれた紫陽花💠をぼんやりと眺めるのが好きなのです。
控えめで奥ゆかしい花💠
雨の紫陽花は風情があって良き🌟
紫陽花といえば、シーボルト様の恋です。
歴史の教科書でお馴染みのこの方、
フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト様🌸
ドイツ人医師。1823年、出島のオランダ商館の医師として来日した。長崎の郊外に鳴滝塾を開き、医学・博物学を教え、病人の治療も行なった。塾には、多くの弟子があつまり、高野長英もその一人であった。帰国のさい、日本の外に持ち出すことが禁止されていた日本地図を持っていたことがわかり、国外追放・再来日禁止を命じられた。帰国後、日本の歴史や地理を広くヨーロッパに紹介した。
紫陽花が何故シーボルトさんのゆかりの花なのか‥
最愛の女性 楠本滝 おたき様名前を紫陽花の学名につけちゃったのっ💞
シーボルト様は、紫陽花を愛しました。
『日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)』には、
「Hydrangea otaksa(ハイドランジア オタクサ)」という学名で紫陽花を紹介しました💠
🚨アジサイの学名はシーボルトが命名する以前に「Hydrangea macrophylla (ハイドランジア マクロフィラ)」という名前で発表されていたのでオタクサの名前は認められませんでした。
おたき様‥オタクサ💠
お二人のロマンスの花、紫陽花はしっとりした雨の中でも美しき🌟
シーボルト様は、精巧な日本地図を持ち出そうとしたということで国外退去処分になってしまいました。
しかし奥ゆかしい日本の女性とのロマンスは永遠に残ることになりました🌱
↑リンクより引用💠
「ソノキサマ マタオイネ カアイノコトモノ シボルト」
帰国したシーボルトが妻子に宛てて書いた、たどたどしい日本語の手紙が残されています。
「ニチニチ ワタクシカ ホマエ マタ ホイネノナヲ シバイシバイ イフ」
(日々、私は、お前、また、お稲の名をしばしば言う。)
「ナントキワ オマエヲ マタ オイネ モット アイスルモノヲミルカ」
(いつか、お前を、またお稲を、もっと愛する者を見るのだろうか。)
いいや、自分の他に二人をこんなにも愛する者はいない!とシーボルトは訴えます。
彼のお滝さんに対する愛情は、変わらぬどころかますます強くなっていたのでしょう。
ところが、程なくお滝さんから、
「余儀なく義理にて他へ嫁し申候」と、親戚の勧めに抗いきれず再婚したことを告げる手紙が届けられます。
自分の肖像を蓋に描かせた煙草入れとともに。
「他の人と結婚するけれど、私の事忘れないで」という残酷なまでに切ないお滝さんの思いが推し量られます。
控えめで奥ゆかしいイメージの紫陽花💠
「紫陽花🌷、しっとりとして奥ゆかしくて風情があって好きなんですよー💖」と笑いヨガ🌿zoom中にお友達とお話ししていたら、
しばしの沈黙があり‥
🙎♀️紫陽花なー、油断するといくらでも増えるのよ💠
丈夫で逞しくてねー💠結構タフな花なのよ💦
👩えっ(`・ω・´)
さすがシーボルト様、芯の強さも見抜いていたか💃
紫陽花を調べていたら‥
毒まであるううううう(。・ω・。)
ほほほ、綺麗な花には毒があるってことねっ💦
殿方、お気をつけあそばせ
(((o(*゚▽゚*)o)))
シーボルトの孫娘も美しい方です🌟
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