蘆葉達磨 ろようだるまってご存知ですか?
達磨さんは、葉っぱに乗って海を渡ったというのです。
まじかっ‼️!(◎_◎;)
そして、その達磨さんの絵を宮本武蔵が描いた❗️
宮本武蔵って巌流島の戦いで勝った剣豪ですよね💧
絵も嗜むなんて不覚にも知らなんだわい💃
貴婦人として、まだまだ修行が足らんかった😅反省💦
その、盧葉達磨ろようだるまを描いたものがこちらです。
上記事より引用🌸
普通7年(526)、達磨(生歿年未詳)は教化のためにインドから中国に移り、
梁の武帝(ぶてい・464~549)から高僧として歓迎されました。
達磨は武帝のもとを去り、揚子江を北上して嵩山少林寺へ至ります。
その時、一本の葦に身を託して河を渡ったという故事が本図の題材となっています。
宮本武蔵様、一切の迷いのない筆使い🖌流石に剣豪✨
すごいわっ!(◎_◎;)
審美眼があるとは言えないけれども、素晴らしいものということはわかります💖
そして、五輪書ごりんのしょこれがまたすごいっ‼️
なんと才能に恵まれた方だったのでしょう🌟
宮本武蔵様、少年期に岡山の武士・宮本無二斎の養子となり、
「天下無双」の名を室町将軍から賜った武芸者の無二斎の下で、少年期から剣術を鍛錬し、13歳で初めて勝負して名のある武芸者に勝ったそうです。
武蔵は24歳の時に28カ条の剣術書『兵道鏡』を著し、全国に武者修行🔥
29歳までに行った60度以上の命がけの勝負に全て勝ったそうです‼️
最後の勝負が有名な小次郎との勝負🏝
約束の時間に遅れたというのは作り話だそうです。
そうなのね( ̄(工) ̄)
無人島で同時に会して、三尺余の長い刀を遣(つか)う小次郎を、それを上回る長さの大木刀で打ち倒したようです。
Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
30歳を超えてから「なおも深き道理」を追求して、
50歳の頃に道に達したと『五輪書』に書く。
34歳となる1615年、
大坂夏の陣に徳川方の大名の下で参陣した記録があります🏯
2年後、姫路城に入った姫路藩の客分となります。
藩主の嫡男などに剣術を指導していたそうです。
宮本武蔵様に御指南いただけるなんてすごいっ🌟
この時期から剣術の理論を追求し、
水墨画も描き始めたそうですが、年齢重ねて始めたのにあのクオリティ
(((o(*゚▽゚*)o)))
才能の塊のような方ですよね🌟
宮本武蔵様の五輪書、ぜひご覧ください🌟人生変わるかも🌿 武道をされてる方には特にお勧め🥋
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剣道の歴史において異色とされる宮本武蔵の二天一流は、次のような考えから生まれている。「太刀はひろき所にてふり、脇差はせばき所にてふる事、先ず道の本意也。此一流におゐて、長きにても勝ち、短きにても勝つ」。つまり宮本武蔵の革新は、勝つという1点をただ合理的につきつめたところにあることがわかる。
コロナ禍がおさまって、いつか宮本武蔵様の作品をみることができればなと思います🌟
宮本武蔵様🌟
すげーよっヽ(*^ω^*)ノ
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