⬇︎松谷みよこ作 『ふたりのイーダ』についてわかりやすく書いてあるリンクです🌻
あらすじ
小学四年生の直樹と、二歳の妹ゆう子は、夏休みに祖父の家で、
直樹は不思議ないすを見かけます。
それは、「イナイ、イナイ、ドコニモイナイ・・・」とつぶやきながら歩き続けるいすでした。
翌日、直樹は、いすを見かけた無人の家の中で、遊ぶゆう子を見つけます。
ゆう子は、まるでこのうちの子供のように自然に、いすと無邪気に遊んでいるのです。
心配になった兄の直樹は、いすと話をしようとします。
ところが、いすは、ゆう子をこの家の子供のイーダだと言い張ります。
ある日、おばあさんの知り合いの、りつ子お姉さんに連れられて行った史料館で、
直樹はあのいすと同じ模様の、大人用のいすを発見しました。
そして、それを作った人をりつ子に調べてもらうことにしました。
それがわかれば、あの家に住んでいたイーダが、いつの頃の人かがわかると思ったからです。
その後、あの家にかけられた日めくりカレンダーを見てみた直樹は、
読むことができず、りつ子にすべてを打ち明けます。
りつ子が調べてくれたことによると、そのカレンダーは、1945年の、八月六日だということでした。
そのあとで、あの家をりつ子と色々調べた後、夜に二人で広島のとうろう流しへ行くことになります。
そこで、1945年の八月六日に起こったことを知った直樹は、
あのいすのイーダも、原爆で死んだのかもしれないと考えます。
そしてもしそうなら、ゆう子がそのイーダの、生まれ変わりなのかもしれないと・・・。
夏の日、弟とこんな会話をしました。
『少女を偲んで、椅子が喋るのよ💺 そして歩き回って、川に飛び込むの💧』
自分でも、何を言ってるんだか分からない。
弟も、印象深かったようで覚えていましたわ。
小学校の時に、児童全員で見た📽『ふたりのイーダ』
小さなイーダを椅子は待ち続けた。
イーダは8月6日に原爆で亡くなったことも知らず。
椅子が人格を持ち、イーダを探し回り、そしてあの日の地獄を知る。
ファンタジーの要素を持ちつつも、
平和への願いと希望を映画を通して、子どもの心に深く印象付けた映画でした。
青い鳥文庫からも出版されています。
様々なことがあるとはいえ、当たり前の明日が来ることを疑うことがない。
平和であることが、決して当たり前のことではなく、
多くの方々の犠牲と、努力があってこそ。
日本は言霊の国🗾
まずは、自分の心と言葉を穏やかに平安であることから始めてみようと思います🕊