源氏物語 第七帖 紅葉賀(もみじのが)
この七月に皇后の冊立《さくりつ》があるはずであった。 源氏は中将から参議に上《のぼ》った。 帝が近く譲位をあそばしたい思召《おぼしめ》しがあって、 藤壺の宮のお生みになった若宮を 東宮にしたくお思いになったが将来御後援をするのに適当な人がない…
昼近くになって殿上の詰め所へ二人とも行った。 取り澄ました顔をしている源氏を見ると中将もおかしくてならない。 その日は自身も蔵人頭《くろうどのかみ》として 公用の多い日であったから至極まじめな顔を作っていた。 しかしどうかした拍子に目が合うと…
源氏は友人に威嚇《おど》されたことを残念に思いながら 宿直所《とのいどころ》で寝ていた。 驚かされた典侍は 翌朝残っていた指貫《さしぬき》や帯などを持たせてよこした。 「恨みても 云《い》ひがひぞなき 立ち重ね 引きて帰りし 波のなごりに 悲しんで…
自分であることを気づかれないようにして去ろうと 源氏は思ったのであるが、 だらしなくなった姿を直さないで、 冠《かむり》をゆがめたまま逃げる後ろ姿を思ってみると、 恥な気がしてそのまま落ち着きを作ろうとした。 中将はぜひとも自分でなく思わせなけ…
源氏は女と朗らかに戯談《じょうだん》などを 言い合っているうちに、 こうした境地も悪くない気がしてきた。 頭中将は源氏がまじめらしくして、自分の恋愛問題を批難したり、 注意を与えたりすることのあるのを口惜《くちお》しく思って、 素知らぬふうでい…
頭中将《とうのちゅうじょう》の耳にそれがはいって、 源氏の隠し事はたいてい正確に察して知っている自分も、 まだそれだけは気がつかなんだと思うとともに、 自身の好奇心も起こってきて、 まんまと好色な源典侍の情人の一人になった。 この貴公子もざらに…
はなやかな絵をかいた紙の扇で 顔を隠すようにしながら見返った典侍の目は、 瞼《まぶた》を張り切らせようと故意に引き伸ばしているが、 黒くなって、深い筋のはいったものであった。 妙に似合わない扇だと思って、 自身のに替えて源典侍《げんてんじ》のを…
御所にまで二条の院の新婦の問題が聞こえていった。 「気の毒じゃないか。左大臣が心配しているそうだ。 小さいおまえを婿にしてくれて、 十二分に尽くした今日までの好意がわからない年でもないのに、 なぜその娘を冷淡に扱うのだ」 と陛下がおっしゃっても…
保曾呂倶世利《ほそろぐせり》というのは変な名の曲であるが、 それをおもしろく笛で源氏が吹くのに、 合わせる琴の弾き手は小さい人であったが音の間が違わずに弾けて、 上手になる手筋と見えるのである。 灯《ひ》を点《とも》させてから絵などをいっしょ…
源氏は二条の院の東の対《たい》に帰って、 苦しい胸を休めてから後刻になって左大臣家へ行こうと思っていた。 前の庭の植え込みの中に何木となく、何草となく青くなっている中に、 目だつ色を作って咲いた撫子《なでしこ》を折って、 それに添える手紙を長…
新皇子拝見を望むことに対しては、 「なぜそんなにまでおっしゃるのでしょう。自然にその日が参るのではございませんか」 と答えていたが、無言で二人が読み合っている心が別にあった。 口で言うべきことではないから、そのほうのことはまた言葉にしにくかっ…
源氏の参賀の場所は数多くもなかった。 東宮、一院、それから藤壺の三条の宮へ行った。 「今日はまたことにおきれいに見えますね、 年がお行きになればなるほどごりっぱにおなりになる方なんですね」 女房たちがこうささやいている時に、 宮はわずかな几帳《…
源氏は御所から左大臣家のほうへ退出した。 例のように夫人からは 高いところから多情男を見くだしているというような よそよそしい態度をとられるのが苦しくて、 源氏は、 「せめて今年からでもあなたが暖かい心で 私を見てくれるようになったらうれしいと…
母方の祖母の喪は三か月であったから、 師走《しわす》の三十日に喪服を替えさせた。 母代わりをしていた祖母であったから除喪のあとも派手にはせず 濃くはない紅の色、紫、山吹《やまぶき》の落ち着いた色などで、 そして地質のきわめてよい織物の小袿《こ…
藤壺《ふじつぼ》の宮の自邸である三条の宮へ、 様子を知りたさに源氏が行くと王命婦《おうみょうぶ》、 中納言の君、中務《なかつかさ》などという女房が出て応接した。 源氏はよそよそしい扱いをされることに不平であったが 自分をおさえながらただの話を…
それがあってから藤壺の宮は宮中から実家へお帰りになった。 逢う機会をとらえようとして、源氏は宮邸の訪問にばかりかかずらっていて 左大臣家の夫人もあまり訪わなかった。 その上 紫の姫君を迎えてからは、 二条の院へ新たな人を入れたと伝えた者があって…
翌朝源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。 「どう御覧くださいましたか。苦しい思いに心を乱しながらでした。 物思ふに 立ち舞ふべくも あらぬ身の 袖うち振りし 心知りきや 失礼をお許しください。」 とあった。 目にくらむほど美しかった昨日の舞を 無視するこ…
朱雀《すざく》院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。 その日の歌舞の演奏は ことに選りすぐって行なわれるという評判であったから、 後宮の人々はそれが御所でなくて 陪観のできないことを残念がっていた。 帝も藤壺の女御《にょご》に お見せに…
源氏は御所から左大臣家のほうへ退出した。 例のように夫人からは 高いところから多情男を見くだしているというような よそよそしい態度をとられるのが苦しくて、 源氏は、 「せめて今年からでもあなたが暖かい心で 私を見てくれるようになったらうれしいと…